はじめまして。テレビアニメ版「赤毛のアン」のスタッフに、当初、宮崎駿氏が関わっていたのに、途中から降りてしまったようですね。どういう事情があつたのか、ぜひお知らせください。
一言で言うと、宮崎さんは「赤毛のアン」が嫌いだったのです。
高畑監督に「ハイジの時みたいにできないのか」と何度も説得されたのですが、「ルパン3世
カリオストロの城」に誘われると、さっさとやめてそちらに移ってしまいました。
後には赤い髪を振り乱した鬼のように怖い顔の女の子の絵と、「後はよろしく〜」という書き
置きが残されていました。
前年に、はじめて「未来少年コナン」の監督をされて、単なる作画スタッフよりも、こっちの
方が面白い、と思われたのかもしれません。
一説によると、「どうぶつ宝島」でやった人間空中ブランコをどうしてもやりたかったのに、
高畑監督に反対されたからだ、というのもあります。
私としては、宮崎さんが抜けたおかげで、原作通りのしっとりした作品に仕上がって良かった
と思うのですが、いかがですか。
アニメと言うのは共同作業で、一人の力で出来るものではありません。
「赤毛のアン」を宮崎駿作品と宣伝する人がいますが、これはやめていただきたいと思います。
この辺の事情は、拙著「20世紀テレビ読本・世界名作劇場大全」(同文書院)に載っています。
ましうさん。はじめまして。早速の回答、ありがとうございました。「後はよろしく」と言い残して「ルパン三世、カリオストロの城」へと去っていったという話は以前にも聞いたことがあったのですが、やはり本当だったのですね。なるほど、宮崎さんのアニメの系譜からいくと、アンのようなヒロインには共感できなかったであろうことは予感できます。また彼の本領はやはり空中アクションを取り入れた活劇なのかもしれませんね。そうすると、あのアニメのキャラクター・デザインは、先ごろ亡くなられた近藤嘉文さんの創意によると考えてよいのでしょうか?再度の質問、まことに恐縮ですが、よろしくお願いします。
その通り、近藤喜文さんの手によるものです。
近藤さんと一度お会いしたことがあるのですが、ご夫婦で昔から原作のファンで、
村岡訳の初版を持っていたが、放映中の1年間にあまり何度も読み返すものだから、
終わり頃にはすりきれてボロボロになってしまったそうです。
家が近いので(同じ駅です)、ぜひ遊びにいらっしゃい、と言われながら、とうとう
約束が果たせませんでした。その後間もなく亡くなったからです。
私の知る限り、日本では優秀なアニメーターで、長生きされた方はおりません。
それだけアニメーションの製作現場は過酷だということです。
ここだけの話ですが、「赤毛のアン」放映前の準備稿に「あらいぐまラスカル」
の監督で作画も担当された、遠藤政治さんのキャラクター・スケッチがあること
を知っている人はいないでしょう。
近藤さんはアンのキャラクターを考えたときに、女優のミア・ファーローをモデルにしたそうです。
ましうさま。貴重な情報をありがとうございました。「世界名作劇場大全」という書物のことは、以前、他の掲示板でも話題になっておりましたが、まさかその著者の方からコメントいただけるとは。拝察するに、日本アニメーションか、スタジオ・ジブり関連で実際製作の現場にたちあったご経験がおありなのでしょうね。アンをはじめ、名作劇場の作品は、子供心に大きな感銘を受けただけに、その製作に関わった方から直接お話がうかがえるとは感激もしとしおです。今はなき近藤さんが、本のすりきれるまで読み込んで作画にあたられたとうかがい、それほどの思い入れのこもった作品であれば、子供心の感銘にも確かな根拠があったのだなと今更ながら感じる次第です。そういえば、背景もとてもきめ細やかで、ルーチンワークとは格段に異なるものでしたね。その絵を描かれた方ももはや亡くなっているとは・・・・おっしゃるようにアニメ制作の現場の過酷さを思い知らされます。
アン=ミア・ファーロー説は少々意外でした。70年代のミア・ファーローといえば、「ローズマリーの赤ちゃん」「華麗なるギャツビー」などで繊細であやうげな、エキセントリックな演技を披露していましたね。アンもなるほどエキセントリックには違いありませんが、病的なものではなくて、結構たくましいという印象があったものですから。
いずれにせよ、貴重な情報、ありがとうございました。