卒業論文で、赤毛のアンを研究していて、今、女性の権利について調べています。カナダ(プリンスエドワード島)では西暦何年に女性の選挙権が認められるようになったのですか?教えてください。
えつさん、こんにちわ。アンについて研究され卒業論文にかかれるとのこと。しかも女性の権利についてということであれば、ここで何年かわかるだけでは不十分なのでは?カナダの政治史そのものに詳細な文献であたられたほうが背景もきちんとわかりますし。別のテーマで、一言付け加えるのに必要ぐらいだったらお答えするほうもきらくなのですが・・・・。実際にはカナダで初の女性参政権がえられたのは1884年のようです。どの州から採用されたかはわかりませんが。「THE ANNE OF GREEN GABLES TREASURY」にアン関連の年表とともにその頃のカナダの歴史としていっしょに書かれていました。邦訳は「赤毛のアンの宝石箱」でしたっけ。ちなみにこの年はアンがレドモンドに入学する年です。ただそれよりも後の設定になっている「アンの夢の家」の中でギルバートとコーネリアさんの間で「婦人参政権に賛成でしょうね」「選挙権なんか望んでせんよ」という会話が交わされているので、PEI州はまだだったのでしょうね。
プリンスエドワード島では1917年の総選挙の時に、軍隊に親戚のいる女性に選挙権が与えられ、翌1918年に、21歳以上の総ての女性に連邦選挙での選挙権が、1922年に総ての選挙での選挙権が与えられた。女性が裁判の陪審員になる資格を与えられたのは、プリンスエドワード島では1965年。男女の最低賃金の格差が解消されたのは、1974年。1983年に初の女性教育大臣、1990年に初の女性州議会議長、1993年、初の女性州首相誕生。PEI州で、女性参政権が遅れたのは、女性達がそれを求めなかったからとか。以上はダグラス・ボールドウイン、木村和男訳「赤毛のアンの島/プリンスエドワード島の歴史」河出書房新社1965年初版、第十八章「女性の権利のための戦い」より。研究者はこの本、必携です。
1995年初版、ですね。まだ手に入ります。PEIで郷土史の教科書に使われている“Land of the Red Soil”の邦訳です。
ましうさんご推薦の「赤毛のアンの島」を再読しました。1884年に初めて婦人参政権が認められたという宝石箱の記述とは別にこちらには「1836年に投票できなくなった」とかかれています。それまでは「男女とも手をとりあい開拓」してきたのにということらしいですね。1890年のカナダ自治法では女性は選挙権を持つ対象から除外されていたとのことです。1884年は一部の地域で一部の女性に権利が与えられ始めた年なのかもしれません。
『赤毛のアンの宝石箱』や『赤毛のアンの島』の記述においては、「選挙権」という用語の使い方がきわめて曖昧です。 国政選挙レベルでの選挙権なのか、地方選挙レベルでの選挙権なのかが明確ではありませんし、さらに申せば、住民の自治的組織における選挙権と公的組織(連邦政府、州、あるいは州内の行政組織)における選挙権との区別もなされておりません。 例えば、りらさんがご指摘になられた「1836年に投票できなくなった」という記述ですが、これは、1836年までは明確な参政権に関するルールがなかったという意味だと思われます。つまり、1836年に選挙に関するルールが決められ(どのレベルでの選挙に関するものかは、記述がありません。おそらく、地域住民の自治的行政組織内における選挙権だと思います。)、女性が選挙資格者から排除されたということなのではないでしょうか?1836年の段階ではカナダ連邦そのものが成立しておりませんし、当然にプリンス・エドワード島にもきちんとした行政組織は存在していなかったでしょうから、正式な法律上での選挙権の剥奪ではないものと考えます。 また、参政権という言葉には、選挙権と被選挙権が含まれますが、この区別もきわめて曖昧です。 連邦制の国家においては、各州は独自の法制度を有しておりますから、カナダ連邦における女性の選挙権とプリンス・エドワード島州での女性の選挙権は、異なった概念として捉えられなければなりません。ここで私が用いている選挙権という言葉は、「連邦の立法府(議会のことです。)あるいは州の立法府の議員を選出する権利」という意味です。 したがって、プリンス・エドワード島州の女性に、「連邦の立法府および州の立法府の議員を選出する権利」という意味での選挙権が認められたのは、ましうさんのご指摘の通り、1922年ということになります。 ただし、上記の2冊の本は女性の参政権に関する専門書ではございませんので、論文の資料としてお使いになられる場合には、りらさんがご指摘になられたように、カナダにおける女性の参政権の歴史がもう少し詳細に記述された文献に基づく必要があるものと思います。
あららぁ〜、なんや小難しいこと書いてもぉたぁ〜。ごめんなさい。 簡単に、身近な例でご説明いたしますね。 国会議員を選ぶ選挙と、都道府県会議員や市町村会議員を選ぶ選挙は違いますよね。これは、国政選挙に関する選挙権と地方選挙に関する選挙権(地方参政権)の相違となります。 また、国会議員、都道府県会議員、市町村会議員を選ぶ選挙と、マンションの管理組合が管理人を選ぶとかクラス委員を選ぶ選挙とは違いますよね。これは、日本国憲法が保障する選挙権と私的な人的団体における選挙権との相違となります。 上述の2冊の書物では、これらをすべてひっくるめて「選挙権」といっているのです。
『赤毛のアン』シリーズの新完訳をしている松本侑子と申します。いつも楽しく興味深く、拝読しています。初めて書き込みをさせていただきます。『赤毛のアン』では第18章で、リンド夫人が女性も参政権を手にするべきだと語っています。ということは、『赤毛のアン』の時代背景は、参政権前ということです。 私は第一巻の『赤毛のアン』を翻訳したとき(1991年〜1992年ですが)、詳しい訳注を書くために参政権はもとより、『赤毛のアン』と『アンの青春』に何度も出てくる保守党と自由党の対立についても、本を集めて調べました。 そのなかで、カナダの政治と政治史について参考になったのは、以下です。1『カナダ現代史』大原祐子著、山川出版、世界現代史31巻、1981年2『概説カナダ史』大原祐子、馬場伸也編著、有斐閣選書、1984年3『カナダ現代政治』岩崎美紀子著、東京大学出版会、1991年 卒論を書かれるのでしたら、ぜひ読んでみて下さい。 ましうさんがご紹介されている『「赤毛のアン」の島・プリンスエドワード島の歴史』(河出書房新社、1995)もとても良い本です(私の母校の先生と大学院生が訳をなさっています)。 カナダの女性参政権については、上記の1と2の本にくわしく書いてあります。 この2冊によると、連邦の議会選挙における女性の選挙権と被選挙権(簡単に言うと、投票する件リリと立候補する権利、二つをあわせて参政権です)が、連邦議会で制定されたのは、1918年の3月です。 その決定をうけて、女性も参加した初めての連邦議会の選挙は、1921年に実施され、初の女性代議士が登場しました。 ちなみに1880年代にモンゴメリの祖父も、プリンスエドワード島州選出の連邦上院議員でした。モンゴメリはその縁で、『赤毛のアン』第18章に出てくる保守党の名宰相マクドナルド首相に会っています。マクドナルドは1891年に逝去していますので、5年間の歳月を描いた『赤毛のアン』第18章の時代は、1891年以前だとわかります。 女性の参政権が連邦議会レアードヘルで通過した1918年の半年前、1917年10月にも、連邦議会での女性の選挙権は、一部、認められていました。 1917年に議会を通過した「改正選挙法」では、当時カナダが参戦していた第一次大戦に兵士を出した家族には、男女の性をとわず、連邦議会の選挙権(投票する権利のみ、被選挙権はなし)が認められました。 その決定が発展して、翌1918年の女性の参政権(選挙権と被選挙権の両方)の実現となります。 以上が、連邦議会の参政権です。 しかし州議会レベルの女性参政権は、地方によってさまざまでした。 早かったマニトバ州では1916年、そしてプリンスエドワード島州では1922年です。ケベック州以外の州は、1922年までには実現しています。 最後は比較的フランス系カトリック教徒が多いケベック州で、1944年でした。 よって、えつさんへのお答えは、プリンスエドワード島の女性にとって、連邦議会での参政権は1918年、プリンスエドワード島州議会の参政権は1922年となります。 アンが何年生まれかわかりませんが、中年になるまで選挙できなかったことになります。 『赤毛のアン』の政治的・社会的・歴史的背景については、上記のこともふくめて、拙著『誰も知らない「赤毛のアン」』(集英社)に、もっとやさしく書きましたので、よろしかったら、どうぞご覧ください。