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アンブックスと作者モンゴメリ
小説アンシリーズはまとめて「アンブックス」と呼ばれています。「Anne of Green Gables」は村岡花子さんによって日本で初めて訳され、日本での題名「赤毛のアン」もこの時付けられました。
村岡花子さんはシリーズ10冊をあえてアンブックスとしていますが、海外では「虹の谷のアン」と「アンの娘リラ」をのぞいた(アンが主人公の)8冊をアンブックスと呼んでいます。
作者のルーシー・モード・モンゴメリ(1874〜1942)は、アンブックスを時系列で書いたわけではなく、読者の反響に背中を押されて年代の隙間を埋めるように執筆し、結果的にアンの少女時代から娘のリラへと続く長いお話となりました。
この事が原因でこまかい矛盾点が見受けられますが、それを差し引いてもアンブックスは「赤毛のアン」シリーズとして素晴らしい作品となっています。

アンの一連のお話
- 「赤毛のアン」 1908年出版
- 「アンの青春」 1909年出版
- 「アンの愛情」 1915年出版
- 「アンの幸福」 1936年出版
- 「アンの夢の家」 1917年出版
- 「炉辺荘のアン」 1939年出版
- 「虹の谷のアン」 1919年出版
- 「アンの娘リラ」 1921年出版
アヴォンリーの人々の短編集
- 「アンの友達」 1912年出版
- 「アンをめぐる人々」 1920年出版
アンの生年月日
アンが産まれた年が物語の中にはっきり書かれているわけではありませんが、 「アンの娘リラ」の中には頻繁に西暦○○年と出てきますから、 そこから逆算すると1866年生まれということになります。
作者ルーシー・モード・モンゴメリ(1874〜1942)
アンブックスの作者ルーシー・モード・モンゴメリ。彼女は1874年11月30日カナダのプリンスエドワード島クリフトンコーナーで生まれました。
2歳の時に母クレアラが結核で亡くなり、父と離れ母方の祖父母のもと(キャベンディッシュのマクニール農場)で育てられます。
16歳で初めてプリンスエドワード島を離れすでに再婚していた父が住むサスカチェワンへ渡り、翌年再びキャベンディッシュの祖父母の元に戻ります。
1893年18歳でシャーロットタウン(プリンスエドワード島の州都)のプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジで教員免許を取得。
19歳でプリンスエドワード島ヘッドフォードで先生になります。
モンゴメリの年表が必要になってくるので、詳しくはまた後日。。。
1905年30歳で「赤毛のアン」を書き始め、そしてそれは1908年6月に始めて出版され、彼女はベストセラー作家となります。
1911年36歳でユーアン・マクドナルドと結婚しました。
彼女は亡くなる前に心の病にかかっていたそうです。
もともとはご主人のユーアン・マクドナルドが心の病にかかっていて、ご主人の看病と仕事の忙しさの中で自分もそうなってしまったのです。

ある日睡眠薬を大量に飲んでベッドの中で亡くなっていました。
1942年4月24日、モード67歳の時です。
事故だったのか自ら命を絶ったのか本人のみぞ知るですが、彼女の親族がこのほど「あれは自殺であった。」と発表したそうです。
なぜ、今、それをわざわざ?
現在カナダでは、心の病と戦っている方々がたくさんいらっしゃるそうです。
カナダの人々はモンゴメリは誇りに思っていて、その彼女でさえも病と戦っていたのだから、どうか負けないで欲しい、というメッセージを親族の方々は伝えたいのでは・・・という事でした。
昨年(2008年)管理人がプリンスエドワード島の地を踏んだ時にきいたお話です。